鉱物Gの活動日 安土城址
昨日は鉱物Gの活動日で 先ずは安土城址に行きました。
織田信長が戦国時代の先駆けとして築城した 余りにも有名なお城ですよね~~~
僅か3年後には 明智光秀により焼却されて建物の細部は只今も調査中です。
此処を築城するにあたり 近江の各地から石材が集められたので 岩石部の勉強会には
打って付けなのです~~~
大手道の入り口に立ちました。 何年振りでしょうか?
以前に来た時には無かった門が出来ていて
入山料700円を徴収していました。
駐車料金は無料でしたが未舗装の更地( ^ω^)・・・
大手道の石積の様子は圧巻ですね~~~ 左右には当時の信長の有力家臣の屋敷跡が
残されていました。
明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康等順に並んでいますね~
大手道には 築城時に使いまわした
石仏も材料として集められた様で 何か所も残っていました。
後に築城された綺麗な石垣と違い 自然石を其のまま使った野ずら積みですが見事な石垣が
続きます。
カタバミ科の
オッタチカタバミです。
シソ科の
カキドウシも今年初めて見ました。
キク科の
ハルジオンも可愛いですね~
カタバミ科の
ムラサキカタバミです。
次第に登ります~~~
黒金門~にのまるに続く道です。 矢張り石垣が魅力ですね~~~
石垣には溶結凝灰岩や湖東流紋岩など 近江に産している各種の岩が見られました。
当時の近江 琵琶湖周辺の誓いを確認しながら 岩石を中心に見て回りました。
二の丸入り口に展示されている 仏足石です。 此れも築城時に石垣の材料として
使われたものだそうです。
溶結凝灰岩のタマネギ状の風化が見られました。
信長公本廟です。
天守跡の手前で
板状節理の岩石も見つかりました。
天守台後の土台の石です。 此れだけの歴史上で有名な城なのに しょうわ15年に漸く
此の石群が見つかったとの事です。 焼け落ちたために詳細を調査の為、只今北東側の
発掘調査が行われていました。
織田信雄四代の供養塔も・・・
西の湖を見下ろせる
摠見寺(そうけんじ)跡です。 信長が自分を紙とする為に場内に
造らせたとか???
築城当時に信長が湖南市の長寿寺から移築させた
三重の塔は残されていました。
長い石段を下り 三門に到りましたが、上り下り共に石段の高さが高くて歩き辛い石段では
有りました。 当時の日本人は背が低かった端なのに 剛毅な構造だったんだと感じました。
今日は此処までです~~~
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